和田選手の著書
和田ファンのバイブルと言うべき
「虎の意地」 
1998年4月24日発行

このコーナーは「虎の意地」を参考に作成いたしました。
和田選手の詳しい経歴をお知りになりたい方は、今すぐ書店へ

和田 豊選手の栄光のプロフィール

「和田選手、愛と青春の日々」の一席、お時間まで...

1962年(昭和37年)寅年 9月2日

千葉県松戸市に和田好正、哲子の長男としてご誕生されました。
この年はタイガースが15年ぶりに優勝した年でもあります。


お父上は大のタイガースファンで、草野球チームにもご参加なされていました。
ご幼少の頃からお父上の影響で野球を始められました。
また、中学1年生まで剣道もなさっていたという、
運動神経抜群活発明朗な少年でありました。

本格的に野球を始められましたのは、中学1年生の秋のことでございます。
3年生の時には3番ショートでレギュラーでございました。
さて、いよいよ高校進学となり、和田少年は将来は教師になりたいとの
夢を胸に、
進学校で、甲子園出場の夢もかなえるべく、
我孫子高校に進学するのでありました


〜我孫子高校時代〜

野球と「キャンディーズ」に明け暮れた青春時代
将来の伴侶もこの頃にすでにゲットしていた青春時代
「青春」という言葉がピッタリの和田少年の笑顔が、嗚呼、目に浮かぶ...
しかし、「キャンディーズ解散コンサート事件」が悲劇を起こしてしまう...
詳しくは「虎の意地」をご覧ください。
内容にちょっと、「微笑みがえし」してしまいます。


年中無休、連日深夜の練習の成果が実り、念願の甲子園に出場。
第60回大会には後のチームメイトがたくさん出場していました。
PL学園の木戸氏、箕島の嶋田宗彦氏、取手二高の大野久氏、豊見城の石嶺氏

大会6日目に豊見城相手に出場が決定いたしました。
がっ、事件発生...
大阪入りしてまもなくの宿舎で事件は起きた...
しかし、和田少年はあることがきっかけで、難を逃れた。
さぁ、どうなった...
詳しくは「虎の意地」をご覧ください。

甲子園初出場は初回戦敗退という苦い経験
しかし、和田少年は充実していた。
青春を謳歌していたのである。

やがて、監督の奨めもあり、次の青春へと駒を進めていくのであった。

〜日本大学時代〜

日大野球部でも大活躍の和田青年の栄光は続く。
3年生の春季リーグ終了後、日米野球のメンバーに抜擢される。
翌年も抜擢され、米国での試合に挑む。
この時のパーティーで、あの、大リーガー マーク・マグワイアと会談
(だぶん、通訳なしだと思うが、著書には何も記されず。)

ロス五輪にも出場。
後のタイガースのチームメイト共に活躍。
現役では、伊藤敦規投手。

1959年(昭和59年)21歳

いよいよ、人生の大転機...
行く道はたくさんあったが、和田青年の心は揺らぐ
ノンプロの道か、体育教師の道か、それともプロ野球か...
運命のドラフトの日。
自分の名前が指名されずにテレビ中継が終了...
ドラフト指名の結果は和田青年のプライドを傷つける
結果にためらいがあったが、彼は決断した。

自分は縦縞のユニホームが一番に合うと。

1985年(昭和60年)22歳

阪神タイガース ドラフト指名3位で入団
タイガースが21年ぶりのリーグ優勝
そして、日本一になった記念すべき年

それからの活躍は...
何?時間がない。

もしお知りになりたい方はこの後は書店で...
和田選手の文才を堪能してください。


1989年の野球カードです。
やっぱり、若〜い(*^_^*)





以上の写真3枚は、「37豊虎会No.3 くろまめさん」提供


1996年(平成8年)34歳

FA宣言後も「タイガースで優勝したい」と残留

1999年(平成11年)
37歳でチーム現役最年長
まだまだ若い、これからですよねぇ〜
現役最年長の記録を更新してください。

1999年6月1日

通算200犠打達成

2000年(平成12年)38歳

スタメン出場は少なくなったものの「ここぞ」と言う場面での大活躍
「ベテラン」という言葉は和田選手にとっては不要の物
「現役」こだわって魅せる打席はまさに職人
それが「真の虎の意地」

2000年10月20日
下記内容を和田選手から当掲示板にメッセージをお預かりしました。
本日付けで、打撃コーチを兼任する事になりました。
勿論、来年も現役として今年以上に頑張りたいと思っています。
ここ二週間程、かなり悩みました。
今まで以上に大変な事とはわかっていますが、
敢えて苦難の道を選択しました。
自分でプレーをしながら、色んな事を学んでいこうと思います。
何事にも前向きに取り組んでいこうと思います。
これからもよろしく!!


阪神タイガース 和田 豊


3年連続チーム最下位という不名誉な記録は
和田 豊自身の心にもずっしりとのしかかっているだろう
現役で唯一昭和60年の日本一の歓びを知る虎の戦士は
来る21世紀に向かって「職人・和田 豊の技術」と言う名の財産を
若虎たちに引き継ぐためにもあえてコーチ兼任の立場を選んだ



2001年(平成13年) 39歳

そして...
我々が忘れることの出来ない10月1日
最後のV戦士は、「失意泰然」の言葉を残し
背番号6のユニホームを脱いだ



−17年間の軌跡−
 

・ 初出場  1985.7.11対ヤクルト13回戦(甲子園)
・ 1000試合出場  1994.10.4対横浜26回戦(横浜)
・ 1500試合出場  1999.4.18対ヤクルト3回戦(福岡ドーム)
・ 初安打・初打点  1985.7.17対広島14回戦(広島)
・ 1000本安打  1994.7.26対巨人17回戦(甲子園)
・ 1500本安打  1998.5.23対横浜7回戦(甲子園)
・ 開幕24試合連続安打  1997年(日本新記録)
・ 初本塁打  1987.8.21対中日17回戦(ナゴヤ)
・ シーズン最多犠打  1988年(56)
・ 全試合出場  1992・1994・1995・1996年(4回)
・ 打率ベストテン  1990年(5位)・1993年(5位)・1994年(4位)
・ ベストナイン  (二塁手)1992・1994年
・ ゴールデングラブ賞  (二塁手)1992・1993・1994年(3回)
・ オールスター出場  1989・1992・1993・1994・1995・1996・1999年(7回)

年度別成績























1985 39 54 49 10 14 0 0 0 14 2 0 0 0 5 0 3 2 .286
1986 8 5 3 0 1 1 0 0 2 0 0 2 0 0 0 0 0 .333
1987 54 59 53 8 13 1 0 1 17 2 3 3 0 3 0 9 1 .245
1988 127 493 398 57 111 12 1 1 128 20 17 56 1 37 1 51 7 .279
1989 129 563 476 61 141 20 4 1 172 25 18 40 1 45 1 39 5 .296
1990 126 569 496 72 151 16 4 8 199 36 17 12 3 54 4 59 9 .304
1991 129 565 494 50 147 13 3 0 166 34 9 10 2 58 1 48 11 .298
1992 132 606 550 65 153 23 8 0 192 23 1 15 0 40 1 48 6 .278
1993 127 579 511 63 161 22 2 0 187 36 4 18 2 47 1 35 2 .315
1994 130 601 519 76 165 13 3 2 190 43 8 11 3 65 3 40 8 .318
1995 130 569 509 49 136 22 4 1 169 35 4 11 1 45 3 39 7 .267
1996 130 573 520 66 155 22 3 5 198 44 2 6 4 43 0 48 7 .298
1997 96 423 390 51 117 17 5 2 150 26 2 1 3 25 4 44 5 .300
1998 130 495 438 39 119 15 1 4 148 32 1 10 1 45 1 39 7 .272
1999 101 379 334 30 101 13 3 3 129 23 4 11 0 32 2 29 2 .302
2000 88 228 194 19 49 8 1 1 62 20 3 6 0 26 2 16 4 .253
2001 37 44 38 4 5 2 0 0 7 2 0 0 0 6 0 7 0 .132
計17年 1713 6805 5972 720 1739 220 42 29 2130 403 93 212 21 576 24 554 83 .291