Mr.REINBACH FOR EVER
ラインバックさん 永遠に


関西では驚異の高視聴率番組「探偵!ナイトスクープ」で事実を知ったときには、
愕然と号泣しました。
俺がアンチタイガース時代だった頃、(豊虎風荘の「思い出のおもちゃ箱」を参照してください)
密かに応援していた選手がラインバックさんでした。
もう何年も前のビデオが偶然見つかり、これも不思議な縁なのかと思いました。
その時の模様を、詳しくお伝えしたいと思います。

当時、スポーツ新聞には小さく掲載されて、虎ファンで大のラインバックさんの
ファンだった方が、どうしてもその真偽を確かめたいと、番組に依頼されました。
この番組の局長をされている上岡龍太郎氏も大の虎ファン。
しかし、噂でラインバックさんの死を聞いたと言うことぐらいでしか知らないと言うことでした。
レポーターは越前屋俵太くん。

昭和51年、タイガースの助っ人としてふたりの外国人選手がいました。
ひとりは、ハル・ブリーデン選手。当時の背番号は44番。
メジャーの経験もあるどっしりとした重量感のある選手でした。

そして、2Aと3Aの経験しかなかったマイク・ラインバック選手。背番号40番。
アメリカでの成績は誉められるものでは無かったものの、タイガース時代はベルトが
切れるくらいの勢いでのヘッドスライディング、ガッツあるプレーでファンを魅了しました。
巨人の江川が後楽園で初登板した日に、ラインバックさんがいきなりの3ランホームランを
あびせたのは有名な話です。

(注:下の写真でのテロップ部分は「甲子園」になっていますが、正しくは「後楽園」です。)


ラインバックさんが亡くなったと言うニュースは、安芸キャンプの最中だったそうです。
その前年11月に亡くなったと。
当時の日刊スポーツの記者もアメリカの知人から聞いただけで、
確実な記事ではなかったと証言していました。

インタビューをされたジャーナリストの方の話では、
タイガース退団後、コンピュータのソフト会社の営業にに就職された後も、
「別の仕事に変わってもタイガースの事が気になる。」
と逐一情報を求められていたそうです。
「退団後、奥さんと離婚、実父の死などの不幸に見回れ、僕は悪いことはしていないし、
僕は一生懸命仕事している、なぜ僕はついていないんだ」と話されたそうです。

この後、ラインバックさんが現役時代、当時監督だった吉田義男氏にパリへ国際電話で
消息を尋ねるが詳しいことがわからずでした。
当時を振り返って、吉田元監督は「一人息子がいたけれど、家庭的に不幸な面があったから、
私も気がかりでした。ユニホームを着ているときはそうでもないんですが、
ユニホームを脱いでスーツに着替えたときに、さみしそうだったというのが
私の印象ですね。」と少しさみしそうに話されました。

真偽を確かめるために、レポーターと依頼者は唯一の手でかかりが、
ラインバックさんが勤めていたという会社の写真を元にアメリカ・ロスへと向かう。
しかし、アメリカは広い。電話帳で会社を探すが見あたらない。
必死の捜査の結果、勤めていた会社は見つかるが数年前に別の会社に移ったことを知り
その会社を尋ねるが、そこで衝撃的な事実を知ることになる。
「彼は1年半前に事故死した。」
1988年5月20日、車ごと崖から墜落。即死。享年39歳。
当時の新聞にも載っていました。

奥さんのと離婚後、婚約していたという女性とコンタクトが取れて、
彼女から会いに来て欲しいと申し出があった。
ラインバックさんの親友も来てくださって、当時の彼の言葉を話してくれました。
「解雇の理由が納得いかない。タイガースをやめたくないと言ってたよ。」
大活躍してたラインバックさんのVTRを日本から持ってきて、
婚約者だった人、親友、依頼者、レポーターが見守る中、
ラインバックさんの勇姿がテレビに映し出させる。


前妻との離婚後も一人息子は彼の家に遊びに来ていたそうです。
その息子と遊んだバスケットのミニゴールはそのまま...。
部屋は、当時のタイガースのユニホームと同じ白と黒で統一されたインテリア。
ラインバックさんのタイガースへの思いがずっと残っていたみたいです。

「是非ともお墓参りをしたい」と言う依頼者に親友は、
「その前に会って欲しい人がいる」とジャック・マーフィー スタジアムに
依頼者を待ってくれたのは、一人息子のブライアンくんだった。
甲子園にもよく応援に来ていた坊やは、成長していました。
以来者が持ってきたタイガースの帽子をプレゼントされたブライアンくん、
ちょっとはにかみながらもかぶってくれました。
髭はなかったものの、現役当時のラインバックさんを思い出しました。

ラインバックさんの墓石には、バッターボックスに立つ勇姿が刻み込まれていました。
依頼者は涙を堪えて、甲子園の1塁の土を墓石にかけながら、
「ヘッドスライディングした1塁の土です。思い出しますか?」
とラインバックさんの思いを土に託しました。
でも、堪えきれない涙はラインバックさんの墓石を濡らします。


ラインバックさんは仏教とは無縁ですが、今年、2000年は
ラインバックさんの13回忌になります。
こんな話をさせてもらうのも、なんかの縁でしょうか。
改めて、ラインバックさんにお礼を言いたいそんな気持ちです。
ありがとう。
今年もタイガースを応援してください。
ラインバックさんのことはいつまでもファンの心の中に生きています。
俺は大好きでした。
いや、今でも大好きです。
ラインバックさんが生きていた年まで、俺はまだ生きています。
がんばっています。タイガースを応援しています。
だから、ラインバックさんも応援してください。
お願いします。

ごめんなぁ、湿っぽい話で。
でも、タイガースを支えてくれたヒーローの事は忘れないで欲しい。
どっか心の片隅でもいいから彼のことを記憶しておいてください。

ご覧いただいた方で、ラインバックさんに思いでのある方、
是非ともお話を伺いたく思います。
出来ましたらメールで送ってください。
このページにあなたの想い出を綴っていきますので、よろしくお願いします。

もし、聖地・甲子園球場や京セラドーム大阪、時々遠征先で
こんなオッサンを見かけられましたら、お気軽にお声をおかけください。
あこがれの人と同じように口ひげを生やしています。
一見、怖そうですが、ご安心ください。(笑)



KENKEN

−ラインバックさんが愛したお店−

今年(2007年)の春先に1通のメールをいただきました。
経営されているお店の壁にラインバックさんが大きくサインされたそうで、
その壁の上から新しく板を張り付けた為、サインが見られないので
店の改装をする際にサインの書いてある壁板を取り出したい。
「探偵!ナイトスクープ」にそのような依頼をされたとのことでした。
最初はちょっと意味が理解できませんで、
どのように返事をしていいものかと、すぐに返信を送りませんでした。
4月にナイトスクープの放送を拝見して、すぐにメールを送りました。
そうしましたところ、依頼者でもあるご主人からご丁寧に電話をいただき
ラインバックさんの色々なお話を聞かせていただきました。
5月2日、鳴尾浜での観戦後に初めてお店にお伺いいたしました。
多少緊張気味にお店に伺いましたところ、気さくなご主人と奥様に
すっかりリラックスして貴重なお話をお伺いしました。


 

ご主人とラインバックさんの出会いは、ご主人が神戸・三宮でお店をされているときに
当時、阪神をはじめ、近鉄、阪急の外国人選手が住んでいた関係でお知り合いなられたそうです。
同時期に活躍しましたハル・ブリーデンさんの2番手的な立場だったラインバックさんは
他の選手とちょっと離れてひとり寂しそうにされていたのをご主人が声をかけられたそうです。
「寿司は食べたことはある?ないのなら、一度食べにおいで」とご主人が誘われたそうです。
さすがに当時は外国人に寿司は浸透していなかったため、食べられなかったそうですが。
ブリーデンさんとは違い、ラインバックさんはとても気さくな方だったそうです。
赤いTシャツとビーチサンダルでご主人の草野球チームにもバッターで参加されたとか。
たくさんのエピソードからラインバックさんの暖かい人柄を感じました。

ひとりの阪神ファンが自己満足で始めた、このページが30年という時間を超え
ラインバックさんの愛したお友達とお店につながったことに
不思議なご縁を感じつつ、あらためてラインバックさんに感謝するだけです。

 

2007年6月21日にお店がリニューアルされました。
倍以上の広さでカウンター席だけだったのが、テーブル席もでき
ゆったりとお食事をいただけます。
この6月21日はラインバックさんが初めて来店された日だそうです。
ごきげんだったラインバックさんはでっかくサインされたそうです。
その眠っていたサインがよみがえりました。
ぜひ、生でご覧ください。












純神戸牛と明石の昼鯛
鉄板焼 大栄

神戸市灘区篠原南町7丁目1−6
電話 078−861−5531(ゴーゴー掛布)

お店は阪急電車神戸線「王子公園」駅から東へ向かい
水道橋筋商店街をひたすら東へ
商店街のアーケードを抜けて少し歩いた左側にあります。


タクシーでしたら1メータで阪急神戸線「王子公園」
またはJR神戸線「六甲道」から



ラインバックさんの思い出〜みなさんからのメッセージ〜

2000年5月27日にメッセージをいただきました。ありがとうございます。

ライトバックさん

初めまして。タイガースのホームページから、ここに来させてもらいました。
和田選手の事だけかな?と見てみたら、
懐かしいあのラインバックの写真があるではないですか!
私も大好きな選手でした。
高校の時いちびって学校の行き帰りに、タイガースの帽子を被り、
そこには40の番号が、ぬいつけてありました。
彼の外国人らしからぬ闘志溢れるプレイにいつも声援を送っていました。
一度だけ甲子園に行った帰りに見かけたことがあります。
その時は英語などしゃべれるわけがなく、
どうしようかと思ったあげく、腕をぎゅっとつかんで、
やっぱり太い腕やなぁ・・・とただ感激していました。
今思えばあの時サインでもしてもらえばよかったと後悔しています。
長くなりましたが、今までで、一番熱中してタイガースを応援していたあの時に、
ラインバックという選手に出会えたことは、一生忘れはしないでしょう。


2000年6月8日にメッセージをいただきました。ありがとうございます。

東京練馬の那智黒さん

こんばんは、始めまして。
先日初めてODNにプロバイダー契約をし、このホームページを見たときは正直な話
「えっ!ラインバックが載っている」と思い、すぐさまこのホームページを見ました。
懐かしい反面、非常に悲しい一生が綴られており、本当に残念に思っています。
私が覚えているのは、江川からの逆転3ランもそうですが、やはり第1次吉田時代の
ラインバック・田淵・赤鬼ブリーデンの重量打線を思い出します。
確かに死んでしまったことは、我々古いタイガースファンにとって悲しいことでは
ありますが、1985年の日本一を知ったことは、亡くなられた彼にとっても良かった
のではないかと考えたいです。
その後、ヒルトン、オルセン、バース、キーオ、フィルダー、パチョレック、
グリーンウェル、そして今のハートキーなどがグラウンドを去るとき
ラインバック級の印象をもって退団して欲しいと考えています。
これからも応援しています。頑張ってください。


2000年6月11日にメッセージをいただきました。ありがとうございます。

赤ヘルさん

初めまして今日は。あんち読売のホームページから来た赤ヘルと申す者です。
メイの件のことをどう考えていらっしゃるかな、と思いここに来ました。
このラインバックと言う選手、ごめんなさい僕は知りませんでしたが
ここを読んで、忘れられない選手になりました。
何だか読んでるうちに津田さんを思い出し、
それともあいまってモニターの前で泣いてしまいました。
僕はこのラインバックと言う選手を一生忘れません。


赤ヘルさん
投稿ありがとうございました。
カープファンの方からの投稿をいただくとは夢にも思っていませんでしたが、
名選手を亡くす悲しみは球団に関係なく同じですね。
ご投稿いただいた文を読ませていただいて、目頭が熱くなりました。

KENKEN


2001年5月14日にメッセージをいただきました。ありがとうございます。

MIKI KAWAKAMI さん

始めまして元ラインバックさんが交通事故で亡くなられたと言う事は上岡さんより聞きました。
ラインバックさんがいらっしゃった時は余りタイガースを応援しませんでした。
でも今になってタイガースの事を心配しておられたそうなので
元気に生きられて甲子園へ元おられた外人全員で帰ってきて欲しかったです。
13回忌は早いです!
いっも外人選手が辞める事を聞き腹が立っています。
もっと長くやられると言う事をおっしゃられるのに
今腹がたっているのはバースさんとオマリーさんの事です!
又帰ってきてラインバックさんへ優勝の報告をしたいです!
去年いたタラスコさんは元気ですか?
皆外人選手カムバックタイガース!


2001年8月4日にメッセージをいただきました。ありがとうございます。

shinoheさん

初めまして。私が阪神ファンになったのは、まさにブリーデンとラインバックの2人の外国人選手がいる時でした。
掛布もまだ若虎として売り出して来た頃だったと記憶しています。
ラインバックのはつらつプレーは当時野球少年だった私にとって、理想のプレイヤーでした。
若すぎる死でしたが、これだけファンに思っていただいていると天国で喜んでいると思いますよ!!
このページを作った方、見てくれた方に大感謝!!

こちらこそ「大感謝」の一言です。
ひとりでも多くの方がラインバックさんの想い出を語っていただけることが
このページを作った甲斐があるというものです。
メッセージをいただいたことで、ラインバックさんはみなさんの心の中で生き続けている証ですね。

KENKEN


2001年12月1日にメッセージをいただきました。ありがとうございます。

midebi さん

ラインバック選手は私達の年代では一番憧れていた外国選手でした
彼のプレイはいつも一生懸命で、見る側にとっては最高にカッコいい選手でした
このペ−ジを見て彼を思い出せる事が出来てよかったと感謝しています
ありがとう

メッセージをいただいて驚いています。
今日、偶然にビデオテープの整理をしていて、ラインバックさんのビデオを見てたんです。
何度見てもやはり、涙が出るんですよ...。

こちらこそ、ありがとうございます。

KENKEN


2001年12月12日にメッセージをいただきました。

海苔味ポンスケさん

ラインバックさんの思い出は、江川にスリーラン・・・ですねやっぱり。
巨人ファンだった私は、こん畜生!なんて思っていましたが、
ソフトボールの試合に負けてへこんでいると、先生が、
「ラインバックって知ってるか?」
「あ〜あのスリーラン野郎の・・・。それが・・・?」
「あいつは偉い!何でかわかるか?あいつは、負けてるときでも力一杯プレーしとる。
 あいつの元気がタイガースの勝利を導いとるんや。
 心に思ったままを態度に出すのは誰でもできる。
 そやけどそんな時こそ皆に希望を与えることができるヤツは、大したモンや。
 精神的に強い奴が結局は最後に残るンや」

しかし、彼の死や不幸は、このページを見て初めて知りました。
このページを見てとても悲しくなりました。
私は、来年三月でリストラされます、紙屑のように。
家族や同僚にはまだ何も言ってません。
明るく振る舞ってます。実は夜も眠れません。
精神的には焦っています、次の職場を探さねばならないので。
でもこのページを見て、思いました。
ラインバックさんのように強く生きていきたい。
でも頑張ります!ラインバックさん見てください。

ありがとうございます。
メッセージを読ませていただいて、涙が出てきました。
自分の思いでで作ったページが励ましになったことは、とても嬉しいです。
なんか、うまく言葉が出てきません。
自分も不況の波をモロにかぶりながらも、がんばっています。
どうか、がんばってください。
こんなありきたりの言葉しか浮かびません。ごめんなさい。

KENKEN


2002年1月12日メッセージをいただきました。

圭二さん

私もラインバックが大好きな選手でした。ホームラン性の当たりに飛びついたり、
ヘッドスライディングする姿に勇気づけられました。
”若手見習えよ”と何度思った事か。
彼の勇姿を思い出すと今でも目頭が熱くなります。私にとって永遠の猛虎戦士BEST ナインの一人です。
彼こそ星野タイガースに求められる選手でしょう。
久々に良い記事を見せてもらいました。ありがとう。

メッセージありがとうございました。
ガッツむき出しの若トラの出現に期待したいですね。
星野監督以下コーチにビシビシと鍛えてもらいましょう。

KENKEN


2002年1月13日 メッセージいただきました。

はじめさん

私は33歳で、ラインバックが阪神に在籍していた頃は小学生だったと思います。
今まで阪神に在籍した助っ人の中でもラインバック&ブリーデンは
どうしてか判りませんが忘れられない存在です。
それをよく考えると、今はラインバックの様なスタイルの助っ人が存在しないからだとも思います。
阪神タイガースの歴史の中で最強の助っ人はと質問すると大半の人がバースと答えるでしょう。
でも最愛の助っ人はやはりラインバックではないでしょうか。

時々思い出したかの様に、『ラインバック』で検索し、壁紙に出来るような画像が無いか探しています^^
まとまりの無い文章で申し訳ありませんでした。
今後も応援していますので、頑張って下さい!!

メッセージありがとうございました。
おっしゃるとおり、バースさんの印象は強いですねぇ。
優勝に一役かった選手でしたから。
トラファンの世代によって、心に残る外国人選手も違うと思います。
でも、どんな世代のファンの方々にもラインバックさんの事を知っていただきたいんです。
そんな自分の気持ちを代弁していただいたと感じました。

KENKEN


2002年4月23日 メッセージいただきました。

Reinbach40さん

私が阪神のファンになって27年の歳月が流れましたが、今でもラインバックのことを思い出すことがあります。
ホームランバッターではなかったですけど守備が物凄く魅力のある選手でしたね、フェンスに体当たりしても
ボールを放さない走塁でもヘッドスライディングが凄く野球の面白さを教えてくれた選手ではなかったでしょうか
いつも甲子園に行く時甲子園の正面正門前でラインバックのことを思い出してしまうんですよね。
彼が辞めて約20年以上の歳月が流れても忘れることが出来ないというよりもう伝説のプレーヤーになった
感じがします。
ラインバックの阪神での功績は阪神ファンをしている間だけではなく一生涯忘れることがないと私は思っています。

相互リンクをしていただいています、「Let's go Tigers!!」のオーナーさんです。
そういえば、ラインバックさんのようなダイナミックなプレーは、あまり見られなくなりましたねぇ。
あのプレーが思い出の中だけになってしまったのは、寂しいことですね。
機会がありましたら、甲子園で思い出話に花を咲かせたいです。

KENKEN


2002年5月18日 メッセージをいただきました。

ナツコさん

25年前、中学生だった私は夏休みに泊まった親戚の家で、
TVの巨人阪神戦を何気なく観ているうちに、
ラインバック選手の一生懸命なプレーにとても惹かれました。
巨人ファン優勢の東京で、しかも野球にも疎いくせに、
何故阪神の選手にと自分でも思いました。
2学期が始まって友達に話したところ、
彼のファンがもう1人いた事が判り、
二人して海苔で「40」をかたどった弁当を作ったり、
在京球団主催の阪神戦に足を運んだりしました。
またある時はご本人を模した人形を作って手渡したり...。
我ながら可愛い中学生でした。

その時片言しか話せなかった悔しさがきっかけで、
英語を必死で勉強するようになりました。
高校時代はアメリカ留学も考えつつ、勉強とバイトに明け暮れました。
人見知りだったのに、プロ野球に関心を持ったお陰で話題が広がり、
男女問わずすぐに打ち解ける性格になっていました。
そうした楽しさや希望が、過酷な家庭環境を忘れさせてくれました。

そのうちにラインバック選手は退団し、大学も国内になり(前述の
友人は同じ動機で米国留学)ましたが、親米家になった私は、
新婚旅行に自由気ままな長いアメリカ横断旅行を選びました。
それは、いつかかなえたかった夢のひとつでした。

『ナ○バー』のタイガース特集に、ラインバック選手は
既に亡くなったとの記事が載っているのを知りました。
先の旅行で、メジャーリーグの球場に行ったり、
カリフォルニアのロングビーチを車で走ったりした時に、
「ラインバックさん元気かな♪」などと
楽しい回想をめぐらせた、ちょうど一年あとに...。

お人形を手渡した時に頂いたサイン色紙を、
引越のどさくさで紛失したのが悔やまれます。

考えてみればラインバック選手は、今までの私の人生の過程に
「幸せのお花」の種をさりげなく、そして数え切れない位まいてくれました。
お花、いつも咲いてます!これからも途切れることはないでしょう。
天国の彼に、この場をお借りしてひとこと伝えたいです。
「ありがとうマイク。もうすぐあなたの年齢を追い越してしまうけれど、
これからも自分なりに頑張ってみるからね」と。
今、このメールを書いていて改めて感じました。
「(亡くなった人間が)心に生きている」って、こういうことなんですね!

厚かましくも長くなってしまって本当にごめんなさい。
最後に、このようなページを作って下さってありがとうございます。

メッセージありがとうございました。

ひとつの出会いが自分の人生を大きく変えてしまう。
そんな「奇跡」を感じるときがあります。
ナツコさんにとって、ラインバックさんとの出会いが、そんな「奇跡」だったんですね。

私も今年、ラインバックさんよりも年上になってしまいました。
間もなく命日ですが、ご存命でしたら53歳...
まだまだ仕事もバリバリされていて、お孫さんもいて、今年のタイガースの快進撃を
お喜びになっていたのかも知れませんねぇ。

ナツコさんも、みなさんからも、このページに関してお礼の言葉をいただきますが、
私の方こそ、みなさんにお礼を言いたいくらいです。
自分のつたない文書にみなさんのメッセージがカバーをしていただいて、
このページが活かされています。

本当にありがとうございました。

KENKEN


2002年5月23日 メッセージをいただきました。

Kawano Sumikoさん

かぞえで、マイクの背番号の歳になる、一ファンです。

ただのアンチ巨人だった私ですが、テレビでマイクに一目惚れし、
トラキチになりました。口ヒゲに弱いんです。それに、あの、闘志溌剌としたプレー!
中学の英語教科書の主人公 "Mike Smith" を、全部 "Mike Reinbach" に
書き換えていました。甲子園へも何度か足を運び、マイクのお姿にみいっていました。
「探偵!ナイトスクープ」の例の分は、見逃したので、マイクの死はずっとあとになってから知りました。
ショックでした。
85Vの時は、下宿してたし、テレビも持ってなかったので、ほとんど知らないんです。
今年は、とりわけ矢野を応援しています。絶対優勝して欲しいと思います。

マイクのご冥福をお祈りします。

メッセージありがとうございました。
つい先日、5月20日はラインバックさんの命日でした。
1998年ですからもう14年になります。
私も今年、ラインバックさんより年上になってしまいました。
みなさんの心の中で生き続けているのに、ひとつも年をとらないですねぇ。
メッセージをいただく度にそう思います。
ヒーローはいつまでもヒーローなんだと改めて思いました。

KENKEN


2003年4月29日 メッセージいただきました
5月20日生まれの阪神ファンさん

あのラインバックが亡くなっていたとは全然知りませんでした。
小学生のころ、甲子園に行くといつも外野席に向かって手を振ってくれていた姿が今も目に浮かびます。
今にして思えば私に手を振っていたわけじゃないと思うけど、
私はすごくうれしくていつも一生懸命手を振っていました。

実は急にラインバックって今何しているんだろう?と、気になってこのサイトにたどり着きました。
彼がどんなふうに生きたのかが少しでもわかることができて悲しいけど、うれしかったです。
ラインバックの消息について探偵ナイトスクープでやっていたとはぜんぜん知りませんでした。
以前は関西にいたのですが7年前に東京に引っ越してしまったので、ナイトスクープ見れなくて寂しい限りです。

最後にラインバックの冥福をお祈りいたします。

また、KENKENさんこのようなページを作成して今まで載せていていただいてありがとうございます。

こちらこそ、メッセージをいただきましてありがとうございます。
本来でしたら和田 豊選手を応援するホームページでしたが、管理人のわがままで始めた、
このページにお便りをいただき、その度にラインバックさんがいかに愛された選手だったかと思います。
彼が亡くなってもうずいぶん時が流れましたが、ファンの心の中では永遠に生き続けているんですね。
東京からもタイガースの応援よろしくお願いします。

KENKEN


2003年5月12日 メッセージいただきました
三十路のラーメン屋さん

東京生まれの東京育ちの私をタイガースファンにした男…それがラインバックでした。
野球に興味をもち始めた小学校1年生の時、親も友達も皆巨人ファンの中、後楽園で
江川卓から放ったアーチの鮮やかさは今でも私の心に残っています。
あのホームラン以来東京ではマイノリティとも言えるタイガースファンに、
そして大学生になり東京ドームで売り子のアルバイトをしていた頃も
タイガース応援団の皆さんと話した掛布・中村勝・若菜に佐野仙(個人的なファンだったので)
そしてラインバックの思い出…お陰様でタイガース戦になると指名買いを頂き
私の営業成績は常にトップでした。本当に良い思い出です。

最近ではケーブルテレビなどで甲子園の中継が東京でも見られるようになってきましたが、
どの球場でも味わうことが出来ないあの大声援を見るとタイガースの選手はつくづく幸せだと思うし、
ラインバックも一層燃え上がったのでしょう。

間も無く彼の命日ということですが、今年のタイガースの好調ぶりをきっと喜んでいることでしょう。
大阪の盛り上がりを見ていると甲子園未経験の私も行ってみたくなってしまいます。
ラインバックが豪快なヘッドスライディングを魅せた(余談ですがヘッドスライディングと言うと
彼かアイルランド《広島…古っ!!》そして亀山くらいしか思い浮かばないですねぇ。)地へ今年こそはと考えています。

今年のタイガースを見ているとラインバックのスピリットが乗り移ったかのように
各選手から「勝ちたい」という気持ちが非常に伝わってきます。久々に楽しいシーズンになりそうですね。

最後にマイク・ラインバックさんのご冥福を心からお祈りいたします。

「タイガースがラインバックがイチバンや!」 (byオマリー)

メッセージありがとうございました。
たくさんのラインバック・ファンを作るきっかけとなった、あのホームランをご覧になったんですね。
すばらしい!
東京、、関東地方ご出身の方のタイガース・ファンは当メンバーにもおりますが、
このサイトをオープンするまでは、それほどファンの数はないだろうと思っていました。
タイガース・ファンの層の広さに驚いています。
それと、東京ドームでアルバイトをされていたとは、貴重な思い出ですねぇ。
その思い出と共に、ラインバックさんの思い出もいつまでも大切にしてください。
機会がありましたら、是非とも甲子園球場にもお越しください。

KENKEN


2003年6月7日 メッセージをいただきました
のんぢいさん と ぶうたんさん 

こんにちは、ホームページ、大感激しながら拝見いたしました。
今年の快進撃に勢いづいて、タイガースの昔のユニフォームを彼女と二人で作ることになり、
小学生の時(25年以上前)に大好きだったブリーデンとラインバックの背番号と名前のつづりを確認すべく、
貴サイトを見つけました。
彼女は私よりひとまわり近く若いので、当然、2人の活躍は知りませんが、
貴サイトを涙しながら拝見し、ラインバックの大ファンになったようです。
ブリーデンとラインバックのユニフォームを着て、球場で阪神の応援をしている二人がいたら、
それは、私たちです。気軽に声をかけてください。

ありがとうございます。
つたない文書に感激いただくとは、とても照れくさく思います。
ラインバックさんの現役時代を知らない世代の方に彼のすばらしさを知っていただけるとは、
こちらの方が感激致します。
こうしてメッセージをいただく度に、私も目頭が熱くなります。
自分が出来る事の範囲はすごく狭いものなのに、
一人でも多くの方にラインバックさんの事を知っていただくことが出来るのは幸せなことだと思います。
機会がありましたら、タイガースの応援をご一緒にさせてください。

KENKEN


2003年6月19日 メッセージをいただきました
gontaさん

はじめまして、今日の阪神VS横浜戦、ムーア投手が先発でしたが、
以前からムーア投手の打席に立つ姿を見るとラインバックが立っているような
錯覚にとらわれることがありました。
それで、彼のことを取り上げているホームページを探しているうちにここへたどりつきました。
彼を助っ人とは思いません、かれは生粋の虎でした。私も「探偵ナイトスクープ」で彼の死を知り、号泣しました。
しかし、このホームページで彼のことを思っている人がこんなにたくさんいることを知り、胸が熱くなりました。
みなさん、ありがとうございます。

メッセージ、ありがとうございました。
おっしゃるとおり、ムーア投手がラインバックさんと、だぶるときがありますねぇ。
いつでしたか、ムーア投手が3塁へヘッドスライディングした時がありました。
今、そのシーンが頭に浮かび、ナイトスクープでも放送された映像と交差しました。
ひとりでも多くの方にラインバックさんのことを知っていただくことができて私もうれしいです。
こちらの方こそお礼を申し上げたい気持ちでいっぱいです。

KENKEN


2003年9月30日 メッセージをいただきました
GAKUICHIさん

85年とはまた違った今年の強さをラインバックにも見せてやりたかったと思います。
でも・・きっと空の上からみて喜んでくれてるでしょう。
あの笑顔で・・・・・・

私も最終ゲームで巨人に負けた頃からの阪神ファンです。
江夏・田淵・カークランド・藤田・池田・・・懐かしく思い出します。

そして、歴代の虎戦士の中で一番好きだったのがラインバックでした。
あのファイト溢れるプレーの数々はいまでも目に焼きついて離れません。
何十年経ても私たちの心の中に生き続けている彼こそをミスター・タイガースと呼びたいと思います。

もう一度会いたい!

メッセージ、ありがとうございました。
今年、念願の優勝を果たして、ラインバックさんも喜んでいらっしゃると私も思います。
退団後も「タイガースの事が気になる」とおっしゃてたそうですからねぇ。
毎週欠かさず「探偵!ナイトスクープ」を見ていますが、タイガースの話題が出る度に、
ふと彼のことを思い出すんです。
ラインバックさんにあこがれて生やし始めた口髭も白髪が目立つようになってきて、
「もし彼が生きていたら、あの口髭は真っ白なんかなぁ・・・」
そんなことを思ったりすることがあります。
どうしても、前回の優勝時に大活躍されたバースさんの話題が出ますが、
毎回、メッセージをいただく度にタイガースファンの温かみを感じます。
ラインバックさんは幸せな方だったんだと。

KENKEN


2003年12月5日 メッセージをいただきました
Shuさん

ガキの頃からアンチ巨人の家庭に育った私にとって、ラインバックはヒーローでした。
憎き江川初登板の時のテレビ中継は今でも覚えています。

神宮・浜スタ・ドームと関東3球場には今年も15試合くらい見に行きましたが、
私の復刻ユニフォームのラインバックの文字と40番の背番号を見て、いつも多くの方に声を掛けられます
やはり昔からの阪神ファンにとっては特別な存在ですよね
成績やメディアへの露出ではバースにかなわないかもしれないけど、ファン一人一人の記憶の中では
ラインバックも決して負けてないのかなって思います

今年の優勝が決まった瞬間、いろんな人から飲みに行こう!と誘われましたが
結局夜中までしみじみと一人テレビを見ながら飲みました。
窓際にラインバックのユニをかけて、思い出に浸りながら・・・

メッセージ、ありがとうございました。
甲子園でも時々ですが、ラインバックさんのユニホームを着た方を見かけます。
見る度に嬉しくなります。
「ラインバックさんのファンが居てくれた」ただ、それだけでも。
もう思い出の中でしか会えないのは本当に寂しいのですが、
ヒーローはどれだけ時間が流れても、ずっとヒーローなんですよね。
優勝時の美酒を味わっていらっしゃるお姿がなんとなく目に浮かんできます。
いいですねぇ・・・
その瞬間を思い出のアルバムに納めてください。

KENKEN


2003年12月7日 メッセージをいただきました
黒豆さん

ラインバック選手のことはずっと気になってました。
このページで消息を知ったときは本当にびっくりしてしまいました。

確かタイガース退団後、京都の西陣織りのセールスマンをしていて
阪神タイガースのことは今でも気になっているというような新聞記事をみたことが
あります。とても切ない気持ちになりました。
本当に昔のことです・・・・
(朝日、毎日、神戸のいずれかに掲載されていた。うちで取っていた新聞なので)

いつまでも、忘れないでしょう。
どうぞ、安らかに眠ってください。

メッセージありがとうございました。
お話いただいたセールスマンの事は初めて知りました。
生活の為とは言え、本当に切なくなりますね。
いきさつは判りませんが、日本で仕事をしたい気持ちが、
「タイガースを近くで見守りたい」と気持ちもあったのかも知れませんね。

KENKEN


2005年1月6日 メッセージをいただきました
オニヒトデ さん

ふとYAHOOで検索したらこのサイトに行き着きました。
現在は流れ流れて沖縄県那覇市に住んでいますが愛知県出身で、父親からの阪神ファンです。
野球の事が分かりかけた頃から彼が活躍していました。
何と言っても強烈なのは江川に浴びせた3ランホーマー!
助っ人気分など微塵も感じさせないガッツ溢れるプレーは今でも印象に残っています。
いつ、何処で、どのようにして訃報に接したかは忘れてしまいましたがご冥福を祈らずにいられませんでした。
記録より記憶に残る選手−それがラインバックです。

メッセージありがとうございました。
時の流れはだんだんと記憶を風化させていきます。
なのに、ラインバックさんは時折顔をのぞかせてくれるような気がします。
こうしてメッセージをいただく度に、自分の肩越しにモニタを見つめながら、うれしそうで、
ちょっと哀しそうな顔でメッセージを一緒に読んでいる。
なんとなく、そんな気がして私の返信を書いています。
いつまでも彼を応援してあげて下さい。

KENKEN


2005年2月24日 メッセージいただきました
shinsukeさん

私が21歳、妹が17歳のでもう30年近くがたちました。
特に妹がラインバックの大ファンでした。
二人で甲子園に観戦に行き、ゲーム終了後、球場の外で彼が出てくるのを待ち、
彼の姿を見つけた妹はマイク!と叫び彼の腕を掴んで嬉しそうにニッコリしていました。
彼も嫌がることなく他にもいたファンの方達に笑顔を送ってくれました。
ガッツ溢れるプレーを見せてくれた彼は球場の外でも誰からも好かれる紳士であった人です。
退団をした時は非常に寂しい思いをしたものです。
亡くなられた事を聞いた時は自然と涙が出ました。
決してマイク・ラインバックの名は忘れることは無いでしょう。
安らかにお眠りくださいと祈るのみです。

メッセージありがとうございました。
ラインバックさんにお会いされたんですね、とてもうらやましいです。
このページで紹介しています「ナイトスクープ」での吉田元監督のお話からして、
ファンの前では笑顔を絶やされなかったんですね。
ファンを大事にされていたことが、いつまでも私たちの心に彼が生きているんですね。

KENKEN


2005年10月24日 メッセージいただきました
マイク背番号40さん

阪神タイガース公式BBSで紹介されていて、このページに立ち寄りました。
私は広島在住ですが、「探偵ナイトスクープ」は放送されたとき偶然見ました。
ラインバックという文字を見るたびに懐かしく、胸を締め付けられる気持ちになるのは、
50才近くになった今でも変わりません。
私の心にはバースよりもラインバックの方が深く刻み込まれています。
今年復刻版のユニフォームが再発売されたのでラインバック在籍当時のものを買い、
40とREINBACHの文字を貼り付けてもらいました。
また、今年の阪神優勝を記念して「栄光の架け橋」という素晴らしい作品を作られたshuさんが
ここに投書されていたことを発見し、びっくりしました。
年は違ってもラインバックが好きだという共通点を持つ同好の士がたくさんいることを
とても嬉しく思います。
このようなページを公開していただき、本当にありがとうございます。

メッセージありがとうございました。
2年ぶりのセ・リーグ優勝で、何かと盛り上がっていました。
そんな中、ふと、2年前にいただいたShuさんのメッセージを思い出したんです。
そやったなぁ、ラインバックさんに報告せな。
ひとり天井を見つめながら「マイクさん、また優勝したで。強くなったやろ。」
退団後もタイガースりことを気にしてくれたラインバックさんやから、
今年の胴上げも見てくれたと思います。

アンチ・タイガースだった頃の自分が残念だったくらいに、
今はたくさんのタイガースファンと仲間になれて、とても幸せに感じています。
また、自分の勝手な思いで作ったこのページも5年が過ぎました。
そんな自己満足で終わるはずだった「ラインバックさんへの思い出」に
感動とお礼のメッセージをいただけることに恐縮しています。
こちらこそ、本当にありがとうございます。

KENKEN


2006年2月24日 メッセージいただきました
goodwayさん

はじめまして。HP見ました。私は現在37歳。物心ついた頃からの阪神ファンです。
当時の阪神タイガースは一番中村勝(オリックス監督)2番藤田平 3番ラインバック
4番田淵 5番ブリーデン 佐野や掛布が下位でした。
投手でも安仁屋や上田の全盛期。
チームとしては強かったがOBやフロントの政治的な対立や金銭的な問題もあり
優勝できずにいたと思います。
今の阪神タイガース球団はその点非常に良くなったと思います。
ラインバックはそんな問題ある球団の体質の犠牲者だったと思います。
あの活躍、人気からするともっと阪神で活躍できたはずなのに。

そして若手の手本となるようなプレー、練習風景、、今思い出しても本当に残念ですね。
ラインバックのような選手が出てくることが阪神球団にとって30年ほど早かったのかもしれません。

そんな気がします。私はバースよりもラインバックや低迷期を支えたキーオの2人は
一番の優良助っ人だと今でも思ってます。どうでしょうか。

メッセージありがとうございました。
オーダーを書いていただいて、「あっ、そうやった。そうやった。」と
薄れていく記憶の一部がフィードバックしました。
あの頃、大人の阪神ファンが口をそろえて、ぼやいていたことがまさにそうでした。
酒を飲みながら、ああだ、こうだ・・・
ヒートアップしてきて、終いには喧嘩が始まったりして。
「なんで阪神のことでこんなにもめるねん?」
その頃タイガースとは距離を置いていた自分には、不思議に思っていました。
でも、歴史は繰り返されると言いますが、「血は水より濃い」と言いますか、
数年前までは自分も同じ事をしていましたね・・・。(汗)

ラインパックさんの熱いプレーに感動してファンだったのですが、
彼の熱血プレーは必死だったからできたんですよね。
あの優しい笑顔の陰で隠れていた、活字にならない苦しみや悲しみは
母国の親しい友人には打ち明けていたそうです。
「解雇の理由に納得いかない。阪神を辞めたくない。」
その言葉にご指摘の球団の体質やその他のしがらみがあったように感じます。
ほんの数年前まで、その体質は改善されなかった。
そう考えると、ラインバックさんが現役で活躍するのが30年早かったと思います。
ただ、ラインバックさんだけではなかったかも知れませんねぇ・・・。
バースさんも納得のいく解雇ではなかったと思いますし。

ラインバックさんが39歳で亡くなられて、今年の5月で18年が過ぎます。
そんなに時間が流れたのか、と感じる中、メッセージをいただきましたことに心より感謝いたします。

KENKEN


2006年6月16日 メッセージいただきました
Oさん

初めまして。
島根県在住の44歳になりますOと申します。
親父も兄貴も巨人ファンだったのですが、なぜか私だけ阪神が大好きでした。
江夏、田淵、藤田、遠井、池田、カークランド・・・
あの侍達に甲子園で胴上げしてほしかったのですが、屈辱の阪神・巨人最終戦。
くやしくて、くやしくて・・・・・
そして第一次吉田政権。衝撃の江夏放出。
私を阪神ファンにしたのは、あの江夏のピッチングだったのに、
阪神は何を考えてるんだと思いました。
そんな私をとりこにしたのが、ラインバックでした。
当時中学生だった私にあの溌剌としたプレーがすごくかっこよく見えました。
草野球をする時もラインバックのフォームを真似て打席に立ちました。
古沢、江本、上田次郎、谷村、山本和行、中村、藤田、ラインバック、田淵、ブリーデン、池辺、掛布・・・・・・・
今考えるとぞくぞくするようなメンバーで最後まで巨人と優勝を争った76年
私にとっては、あの頃のタイガースが一番思い入れがあります。
古沢、江本を中心とした先発から山本和行で逃げ切る投手陣。
ラインバック、田淵、ブリーデンと並ぶ強力クリンナップを擁する破壊力満点の打線。
それでも優勝出来なかったのは、当時の阪神らしいと言えば、阪神らしいところだったような・・・。
85年のバックスクリーン3連発もすごいけどやはり私には、
ラインバック田淵、ブリーデンです。
そして今までで最高にかっこ良かった助っ人はラインバック。
江川のデビュー戦での胸のすく一発。本当に最高でした。
ブリーデンの背番号と同じ年になり、廻りの阪神ファンも若い人が多く、助っ人と言えば
バース、オマリー、パチョレックetc.  ラインバックの話を出来る人がほとんどいない状況
たまたまネットで見つけてご迷惑も省みず長々とメールさせて頂きました。
ラインバックの死は、数年前に何かの雑誌で読みました。涙の出る思いでした。
あのラインバックの闘志溢れるプレーを今の選手達にも見習ってほしいです。

メッセージありがとうございます。m(_ _)m

ここ数年のタイガースからは想像もできない時代がありましたねぇ。
想像もできないと言うより「思い出したくない」が本音ですが。(苦笑)
和田選手の引退の翌年のオフシーズンに「世紀の落球」のタイトルで
池田純一さんのドキュメント番組がありました。
江夏さんが投げていた試合で、江夏さんを始め
往年の名選手がインタビューに応えておられてました。
あれからでしたか球団に対して不信感みたいなことを、
まだ世の中の仕組みも解らない子供だったのに、
大人達が話す球団批判を同じように話していたように憶えています。
解雇、トレードについては改めて言う必要もないことですが、
ラインバックさんも「解雇の理由が理解できない」と
話しておられたことが物語っていると思いますね。

整理していたビデオテープを内容を確認することなく処分していたら、
ラインバックさんのすばらしさを伝えることもできなかったでしょう。
そんな偶然から数年の時が流れてしまいましたが、
こうしてメッセージをいただくことにラインバックさんと
ラインバックさんを愛するファンのみなさんに感謝するばかりです。
聖地・甲子園でも時折見かける40番の背番号にうれしさと
ラインバックさんが阪神タイガースの偉大な選手だったことを感じます。

KENKEN


2007年5月8日 メッセージいただきました
ダーク ホースさん

こんにちは。
このようにパソコンから自分の思いを書かせて頂くのは初めてであります。
おたがいの姿を見ずして、意見や批評をするのは少なからず抵抗が ありました。
しかしながら、こちら様の”ラインバック”(ガキの頃と同じであえて呼び捨てさせて頂きます。)への
皆様の思いは私と全く同じで、管理人様の返答にも”暖かみ”を感じる物がありましたので、
こうして書かせて頂いた次第です。

私もいつの間にやらタイガース好きの息子達を甲子園に連れて行く年齢になり
(来年でラ インバックの背番号...)
先日も観戦しに行ったのですが、私の場 合、昨年あたりから活躍している
”林 威助(ウェイツ)"選手とラインバックがなぜだか重なってしまうのです。
似ても似つかぬ二人なのですが.....。
おそらくですが、あの思いきりの良い”振り切る”スイングから放たれるライナーな打球が、
小学生の時に観たラインバックを思い出させるのでしょう。

林 選手にも日本人ならずとも”侍 spirit!”を受け継いでもらいたい物です。
息子達にラインバックの話をしても「ふーん」て感じで...
(映像でもあればスゴイ選手と判ってもらえると思うのですが...)
林 選手も阪神タイガースも親から子へと受け継がれ応援されていくのは、
記憶に残る試合やプレイを”魅せて”くれる事だと思います。
もちろん”常勝軍団”であるに越した事はないですが...。

これからも全選手、並びに応援されているファンの皆様が記憶に残るような試合を期待しています。
そして、この”ラインバック”への思いの場を設けて下さった管理人様に感謝致します。

メッセージありがとうございます。m(_ _)m
このページでも紹介させていただきましたが、先日30年という時間を超えて
ラインバックさんと親しくされていた方とお会いでき、
そして、素顔のラインバックさんのお話を伺うことができました。
「探偵!ナイトスクープ」の反響は大きかったそうで、
「大栄」のご主人は「なんで、ラインバックはこんなに人気があるんやろうね?」
「やっぱり、あの憎っき江川の初登板にホームランを打ったのが印象にあるんちゃいますか?」
と私は答えましたが、ただそれだけではない理由が、ファンの皆さん一人一人の心にあるんでしょうね。
「あんなにラインバックのことを思ってくれたんで、連絡したんやわ。」
ご主人の言葉にテレながらも、人の縁とは不思議なものと実感して、
あらためてラインバックさんに感謝しました。

また、こうして思い出のメッセージをいただいて、私の方こそ感謝を申し上げます。
自分に出来ることの範囲は限られていて、それでも、手の届くところ、歩いていけるところは
自分の手で、自分の足で精一杯やりとげたいと自分自身に言い聞かせています。
時々、挫折するときもありますが、それはそれでひとつの勉強として。
そういう意味でも、最初はこのページは自分の守備範囲と考えていました。
自己満足で終われば、それはそれでいいかと。
ところが、これまで反響が大きいとは夢にも思っていなかったんですね。
一人の守備範囲がいつの間にか、ひとつのチームになるくらいに
たくさんのラインバックさんのファンの思いが集まるまでなりました。
ラインバックさんへ、そして彼を愛したファンの皆さんに感謝、感謝です。

最後になりましたが、林選手はええ面構えしてますねぇ。
今年のイチオシ選手として応援させてもらってます。
親不孝ばっかりしている自分としては爪の垢煎じて飲まなきゃ・・・と密かに思っています。(笑)

KENKEN


2008年1月30日 メッセージいただきました
ナゴ虎さん

はじめまして、北九州のナゴ虎と申します。

ラインバック選手のことをここまで詳しくホームページで取り上げていただき感激です。
ありがとうございます。

私は阪神にいた選手が他球団に移籍するのはもちろん解雇されたその後も心配する方
で、ラインバック選手が交通事故で亡くなったのを知ったときは本当に残念で・・・。
いつかOB戦であの雄姿が見れることを期待していたのですが・・・

当時の球団の真意は知りませんが、昭和55年のシーズンオフ、
故障も癒え来年は名誉挽回すると思っていた矢先の解雇通告は
ラインバック選手のその後人生にとって大きな心の傷になったのではないかと思います。
私がラインバック選手を応援していたのは、中学生から高校生にかけての年代で、
ちょうど親の仕事の関係で大阪から広島へ引越ししたころでもありました。
忘れもしないのは、昭和54年ブレイザー監督のもと真弓、榊原(加藤)、ラインバック、掛布、竹之内、佐野、スタントン、
若菜という打線に、小林、江本、山本和、工藤、池内とういう投手陣で8月下旬まで広島と優勝争いをし、
昭和53年の球団史上初の最下位から一転奇跡の優勝かとわくわくさせてもらったのを覚えています。
このときのメンバーでブレイザー監督、加藤博一選手も亡くなられており時代の移り変わりに寂しさを感じます。
合掌

昭和54年はシーズン大詰めの広島市民球場での広島対阪神で広島の優勝が決まったのですが、
その時の優勝投手が江夏豊選手でした。
最終回1点差に詰め寄りなお1死満塁打者は佐野選手という場面で、阪神に逆転してもらいたいやら
タイガースを追われた元エースの江夏投手に胴上げ投手になってもらいたいやら
複雑な気持ちでテレビを見ていたのを昨日のことのように思い出します。
結果は、いい当たりのセカンドライナーで1塁ランナーが戻れずダブルプレーでゲームセット。
高校生ながら「投げも投げたり打ちも打ったりと」なぜかほっとしました。

この年はラインバック選手は右肘の故障もあり、ライトからレフトにコンバートされてましたが、
フェンスを怖がらずにぶつかっていく姿勢は相変わらずで、
打撃でもあの有名な江川投手からの逆転3ランに代表されるようにチャンスに強いところを見せてくれてましたね。

心に残る猛虎を感じさせてくれる選手でした。
自分の子どもにもそのプレーを見せてやりたかった。
私はいま自分の小学生の子どもには水島マンガ「野球狂の詩」で
甲子園球場のラッキーゾーンに駆け上がっているラインバック選手の登場シーンを通して、
でガッツ溢れる彼のプレーぶりを語りついでいます。

このホームページのおかげで、ラインバック選手のことをこれからも語りついでいかねばとあらためて感じました。
ありがとうございました。


メッセージありがとうございました。m(_ _)m
時間に追われ、時間の流れと共に記憶は薄れていきます。
もう五十に手が届こうかという年齢になってくれば余計に感じる今日この頃。
しかし、たくさんの思い出を語っていただき、
自分の記憶の抜けていたパズルが埋まっていくような気がしました。
ラインバックさんとナゴ虎さん、そして、私もスタートラインは違っていても、
一時期は同じトラックを並行して走っていたんですよね。
お互いに顔は知らないのに、ラインバックさんのファンだったということで、
並行して走っていたあの頃にフィードバックできる・・・
言葉で言い表せない不思議な気分を感じます。
ラインバックさんのファンであったこと、言葉足らずでもラインバックさんのこと語ることが出来て、
それを共感していただける方からメッセージをいただくことの喜びをかみしめています。
お礼を申し上げるのは、本当は自分の方です。
ありがとうございました。m(_ _)m

KENKEN


2009年5月3日 メッセージいただきました
DFT24さん

こんにちは。
大阪出身愛知在住の DFT24 と申します。
阪神のファンを20年近くやっています。桧山選手がお気に入りです。

1987年生まれですから、ラインバック選手の現役時代も、
1985年の日本一も知りません。

Youtubeに探偵ナイトスクープの動画が投稿されていて、
それを見た後で、こちらへ来ました。

人柄のよい、努力家の選手という印象を持ちました。
たくさんのファンに愛されていたのもよくわかります。
そんな彼が、なにゆえにこんなに不幸な人生を歩むのでしょう。

そもそもなぜタイガースを退団することになったのでしょうか。
資料を引いても、退団前年にはベストナインに選ばれていますし、
退団の年にはオールスターにも出てますし。
当時をご存じの方にお聞きしたいですね。

亡くなったのは1988年ということで、おそらく1985年の日本一は知っていたこと
でしょうから、それだけは救いですね。

私はこれからもタイガースを応援し続けていきますが、
多くのファンに愛され、運命に翻弄されるように生涯を閉じた、
この1人の外国人選手のことを、もう一生忘れないでしょう。

あと、2週間ほどで命日ですか。
ラインバック選手のご冥福を祈り、合掌。

メッセージありがとうございました。
そうですかぁ、Youtubeに出ていることは知りませんでした。
ベテランの阪神ファンが昔話をすると出てくる話題のひとつに球団の体質の事があります。
ラインバックさんに限った話ではなく、昔は選手の年俸が高くなるとトレードに出されたり、契約を解除されたものです。
こちらでも書いていますが、ラインバックさん自身も「解雇の理由が納得いかない」と親しい記者の方に吐露されていたそうです。
野村監督、星野監督のおかげで、今は球団の体質も変わりましたし、
先日も12球団一の高額平均年俸のニュースも発表されたばかりですもんね。

時間はどんどん過ぎて行く中で、ラインバックさんの事を知るファンも少なくなってきました。
昨年後半、甲子園で後ろを歩く青年が友達と話しをしていて、「40番って桟原やなかったか?」
正直、寂しいような、悲しいような気になりました。
そんなこともあり、若い世代のファンからのメッセージは、とてもうれしいです。
ありがとうございました。

KENKEN


2011年12月5日 メッセージいただきました
kiyo虎さん

初めまして
大阪府堺市出身で今は仙台赴任中の kiyo虎 と言います。
昨日帰省し難波のスポーツタカハシで、1976年のレプリカユニフォームを
見つけ、思わず買いました。もちろんラインバックのネームと背番号を入れて。
事後で申し訳ないですが、どうぞご承諾願います。仲間に入れてください。
中学から高校にかけて、ラインバックがヒーローでした。
彼のひたむきなプレーが大好きでした。
オールスターに出場した時、彼の喜びがすっごく伝わってきて、
本当にうれしかった。
いつまでも忘れないよう、今の阪神ファンにも覚えてもらえるよう、
40のユニフォームを誇らしく着させてもらいます。

亡くなられてずいぶんと時間が過ぎましたが、
こうしてお便りいただくのはとてもうれしいです。
タイガースに関連する番組をするとき、2週間ほど前もそうでしたが、
85年のバックスクリーン3連発の映像が流されます。
どうしても、タイガースの最強助っ人と言えば、バースさんのお名前が出てきます。
ベテランのファンの方には「なつかしいなぁ」と声をかけられることもありますが、
若いファンの方々は、ラインパックさんの名前すら知らない方も多く、
背番号40番だけを見て、「桟原とちゃうのん?」とか言われて、がっかりしたこともありました。
それにもめげずに、このページでも紹介していますあの40番のユニを着てます。
ひとりでも多くの方にラインパックさんの事を知っていただければと思ってます。
もし、機会がありましたら甲子園で応援しましょう。

ありがとうございました。

KENKEN


ラインバックさんの思い出をメールで送ってください。
ハンドル名もお忘れ無く・・・


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